2015年10月24日(土)勉強会のご報告

2015年10月24日(土)に、定例の勉強会がありました。
今回は7名の参加で、じっくり話すことができた印象です。

前回の振り返りの話から、会話についての話に広がり、
その後30分ほど、部屋の中や外を散歩しながらなど、
思い思いの場所で、沈黙の時間を過ごしました。

後半は、ワークブック4巻「開かれた対話」の続きでした。
内容が長いので、文末にご紹介します。
文章を読み進めながら思ったことなど、
そえぞれの感じ方をじっくり話せる時間でした。
自分を傷つけるのは生き延びる手段ではないか、という問いかけが、
とても印象に残っています。

・自分の親を見ていて、親が子どもを理解しないのはあたりまえのことだと、以前は思っていた
・今の世の中、言葉でわかり合おうとして、から回ることが多い気もする
・ぐわ~っと言えるということは、親密になっていることなんだなと思った
・沈黙の時間に、自分の身体に意識を向けてみたら時間があっという間だった
・仕事を始め、頭を回転させるようになって、なかなか脳を休められない感じがした
・人を傷つけるような書き込みを見た時、関係は無いけど身近な人にあたってしまう
・人の話を聞いて、心から理解したいと思える時ばかりではない
・話を聞きたくない時もあるけど、職業(看護師など)になると、どうなのだろう?と考える
・以前に「今日は耳が日曜日!」と耳を隠す看護師を見たが、気持ちがよかった
・人の話を聞けない時は、たまには聞けないと隠さずに言うのもいいかもと思った

いろいろな話をしました。
こう思ったんだ、ということを、じっくり話せる時間っていいな、と思いました。
どなたでも大歓迎です。ご興味がありましたら、ぜひお越しください。

【次回勉強会】
日時:2015年11月15日(日)10:00-12:00
場所:東京大学医学部3号館S102 (いつもの部屋)
地図:http://bit.ly/hVR5pV

※当日11/15(日)は同じ会場で、14時-16時に「上田孝子さんのお話を聞く会」があります。
詳しくは下記↓をご覧ください。
http://kuronekokuroko.blogspot.jp/2015/10/2015.html


開かれた対話」
○ 自傷 (4巻_p.13~)※裏面参照
人々が自分を傷つける理由はいろいろありますが、ここでは、トラウマの枠組みから話すことにします。トラウマの世界観について少しお話したことを覚えていますか?一つは、トラウマ(特に虐待)が、私たちの人生のすべてにどれほど深く影響しているかということでした。関係、物事の理解の仕方、感情が何を意味するのかにいたるまで、すべてが、“私たちのものの見方(どうしてそう思うようになったのか)”に影響を受けています。私たちの物事の解釈の仕方は、どのように物事を直感し、意味づけ、洞察が形作られるかに影響されているはずです。
暴力が普通のことになっている家族の例に戻ってみましょう。暴力について口にすることが出来ない(そのための言葉を持たないことは言うに及ばず)、そしてそれを引き起こしたのはその人なのだとみんなから言われていたとしたら、その人はどうするでしょうか?
その人の存在すべてが爆発しそうな時限爆弾のように感じられるかもしれず、でも、それは体の中に押し込められているようなものだろうと思います。それを発散させることが、安全を感じるために絶対的に不可欠です。だから、切るのです、あるいは、違った方法で自分を傷つけるのです。そのプレッシャーを少しでも和らげるために。

✍とてつもなく強い感情を大量に抱えているのに、それについて話せる場がない、あるいは、認めることさえも出来ないときについて考えてみてください。どんな感じがするでしょうか?後々、どんなことが起きるでしょうか?

<裏面>
 自傷 (4巻_p.13~16)

自傷についてこのような見方をすると、それが一つの技であると理解出来ます。困るのは、それは私たちが望むような個人的、関係上の結果をそんなにもたらしてくれないことです。だとしたら、ピアサポートでは、これをどのように考えればよいでしょうか?

まず第一に、このように理解したとしたら、自傷が問題であるのか、何があったのかが問題なのかを考えることが出来るでしょう。これらを考えることの一つ一つが、違った会話をもたらします。

ほとんどの人が自傷を問題として扱ってきました。応答は、このようになるでしょう。

•      「自分を傷つけることはやめて、感じていることを話さなければ。」(そんなに悪くないです)
•      「あなたは安全ですか?安全のための契約にサインをしますか?」(悪くなってきました)
•      「この行動をどうしたらやめられますか?」(これは誰が必要としているのでしょうか?)
•      「関心を引くためにしているだけだよね」(最悪です)

何があったのかが問題だと考えると、応答はこのようになるかもしれません。
•     「切ること(その他の自傷)は、あなたにとって何を意味していますか?」
•     「切ることで、何が得られているでしょうか?」
•     「これがあなたにとってどのようなものなのか、言葉で表すとしたら、どう表現しますか?」
•     「切ることが言おうとしているのは何だろう?」

ご覧の通り、とても違った会話になります。では、安全を再定義しリスクを共有することに戻ってみましょう。上に挙げた例の中で、この人は、「どのようにしてそう思うようになったのか」について考え始めます。次の課題は、お互いに助けになること、というか関係の中でお互いに安全・安心を感じることです。

関係の中でお互いに安全・安心を感じるために、あなたは何を言い、あるいは何を尋ねるでしょう?

自傷を解決すべき問題だとしていますか?状況をただコントロールしようとしていませんか?診断と評価に陥っていませんか?

どちらもが責任を引き受けるということを考えると、会話はどうなるでしょうか?
可能性のある方向としては:
「あなたはとても大切なことを言っているのだと思います。私はそれを理解したいと、こころから思っているのだけれど、それ(自傷)は、見ている側の私としては、目にするのがつらいということを伝えておきたいと思います。私たちは、二つの違った視点に立っていると思うのだけれど、私があなたとの会話に関わっていられるように、どんなふうにコミュニケーションすることができるでしょうか?」

ここでの違いは何でしょうか?会話はどのように展開したかもしれないでしょうか?